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tsuzuki BASE

tsuzuki BASE 代表 自己紹介

代表 自己紹介

はじめまして、tsuzuki BASEの高橋です。
私は神奈川県横浜市生まれでどこにもいるような野球少年でした。

1998年 横浜ベイスターズが日本一になり、松坂大輔選手率いる横浜高校が甲子園で優勝した年になんとなく家でついている野球を見て楽しそうだなと思っていた所小学校の友達伊藤くんに一緒に野球やろうよと言われた事が野球を始めるキッカケでした笑(小学校3年生の夏すぎ頃)
そこから毎日のように学校の休み時間は野球、放課後もみんなで野球をしていました。

どんどん野球というスポーツにのめり込んでいき、なんとなく甲子園に行きたいという思いが強く芽生えるようになり甲子園を目指して野球に本気で取り組むようになりました。(今考えるともっと頑張ればよかったと後悔してます。。。w)
今思えば、野球でそこまで大成できなかったからこそまだ野球に関わる環境を作り続けているのだと思います笑

1990年生まれ 35歳
出身:横浜市都筑区
趣味:仕事、ゴルフ、サウナ、車


glowing field 室内練習場

tsuzuki BASE 新横浜練習場

【これまでの経歴】

  • 小学校:横浜市立山田小学校 卒業
  • 中学校:横浜市立中川中学校 卒業
  • 高校:佐野日本大学高等学校 卒業
  • 大学:国士舘大学 退学

小学校:横浜市立山田小学校(少年野球:山田バッファローズ)

tsuzuki BASE 植田とは小学校、チームが同じでここで出会う
地元の野球チームに入り毎日楽しく野球をやっていた事を覚えています。
そこまで強いチームではありませんでしたが、都筑区の選抜チームに入り今までとは少しレベルの高い環境下で野球をやれた事が刺激になりました。


中学校:横浜市立中川中学校(チーム:緑中央シニア)※現横浜青葉シニア


入れ替わりの3年生が全国優勝しており一学年50名の大所帯のチームに入部する。
同級生に甲子園優勝メンバーがいたり多くの強豪校に進学
一つ上の先輩も多くの人が甲子園に出場し、プロ野球選手になった方も居て高いレベルの野球が経験できました。
当時は厳しい環境下の野球でしたがそれ以上に仲間に恵まれ楽しい思い出ばかりでした。

一個上の先輩方はジャイアンツカップ優勝、プロ野球でも活躍した下水流昂選手(元広島)、福田永将選手(元中日)
2個上の先輩も全国大会3位と当時の中学野球界では大分有名チームだったんではないでしょうか。
偉大な先輩方のおかげで様々な恩恵を受けられましたねw
しかし先輩方が最強世代なだけに、、1年生からほぼ全国大会の応援、メイン練習は上級生という形になり
常に走り込み、ダッシュ、階段上り、外周、そんな練習が大半だったので体力が付きました笑

レベルの高い環境下で野球がやれた事に感謝しています。

中学野球2年半という期間はすぐに終わり進路を考える時が来ました。
監督さんに進路希望を提出するのですが、今みたく情報が全くなく雑誌から仕入れる先輩からの話しかありませんでした。その進路希望の紙面に書いた希望進路は、、、、、、、、

第一希望:仙台育英 (本当なんとなくだと思いますw)
第二希望:常葉学園菊川(前年度初甲子園出場、元女子校、見に行った事もあり空気感もものすごくよく感じたので)
第三希望:東海大甲府(縦縞のユニフォームへの憧れですw東海大相模はレベルが高すぎるのを分かっていたので)

いざ監督さんと進路面談が行われましたが、第一希望はキッパリ流されました笑(理由はそんなレベルではないからでしょうw)お前はこの第一希望に浦和学院って書くと思っていたよと監督さんから最初の言葉を言われた時に震えました笑 なぜなら浦和学院の当時の厳しさは先輩が進学している事もあり様々な情報は知ってたからです。
なんなら明日森監督(浦和学院野球部前監督)呼んでるからピッチング見せてお話ししなさいと言われ凍りついたのを覚えています笑

当日本当に来ました。。。。
とりあえずピッチングを見て頂き、キャッチャー裏で両監督がずっと見ている。
何がなんでも行きたくない、絶対に行きたくないwそんな思いでピッチングをした記憶です笑
その後何を話をしたのかは覚えていませんでしが、高校に行き何度も練習試合を浦和学院としましたが本当に怖かったです。恐怖です笑

そして第二希望の常葉学園菊川、当時は野球部ができたばかりでそこまでの強豪校ではありませんでしたが
当時仲の良かった仲間と僕含め3名で行こうという話をうちうちでして監督さんへ伝えました。
『俺は同じ高校に何人も行かせたくないんだ、甲子園に出ていろんな高校で活躍してほしい』と、、、、、
確実に遊ぶのが目に見えていたんでしょう笑
その時の友達は常葉学園菊川に入学し結果として甲子園優勝してましたねw
甲子園優勝していたらまた違った人生があったんですかね?w



高校:栃木県 佐野日本大学高等学校


甲子園に行ける可能性の高い学校という点でこの高校を選びました。中学時代からピッチャーをやっていましたが当時の監督さんから背も大きくない事からサイドスローからというご指導を頂き中学時代からサイドスローの投手でした。
中学3年時に中央大学4年生の会田有志さん(巨人)が同じサイドスローで大学野球でもご活躍されており佐野日大、松本監督(当時)はサイドスローを育てるのが上手い!と半ばクロージング気味にお話を頂き学校設備の魅力、当時集まるメンバーを聞いて入学する事を決意しました。
会田さんともキャッチボールやピッチングを教えて頂きましたが次元が違いました笑
今では野球部OBとしてお食事や情報交換をさせて頂きこれも野球の縁ですね。
    
最初に学んだのは中学卒業と共に寮生活がスタートし、上下関係、規律を学べたと思います。
今までは親が全てやってくれる全自動の生活から自らの事は自ら行う、ここで初めて親の有り難みを理解しましたね笑
野球はもちろんの事、寮生活を通じて学んだ事が今でも生きていると思っています。今でもこの環境下を選択した事は間違ってなかったと感じています。

結果的に2007年の春の選抜大会に出場
関東大会では、花咲徳栄、成田高校(ロッテ 唐川投手)、桐生第一高校(元ロッテ 藤岡投手)、千葉経済大附属( 巨人 丸選手)
関東の強豪校と対戦をして関東準優勝し甲子園を決めました。

甲子園では一発目に公開練習が行われます、ここで初めて甲子園の地に初めて足を踏み入れました。とてもワクワクするような感覚をおぼています。
開会式後の開幕戦が一回戦 大牟田高校(元ロッテ阿部投手) 2回戦 大阪桐蔭(中日 中田選手、元西武 岡田選手)

佐野日大 室内練習場 (滝原塾長と指導に行きました。)



    

大学:国士舘大学


3年間栃木で寮生活をしていた事もあり、できれば家から近い大学に行きたいなという思いを
中学時代の監督さんにご相談した所監督さんの母校である国士舘大学を勧めて頂き入学
プロになりたい(なれないw)、野球がやりたい、大学で何かを学びたい、という思いはゼロ
みんな大学に行くし、野球やってるしという思いで大学に入学しました。
こんななんとなくの人が通用するわけがありませんねww
朝6:00前にグランドイン、なんのために野球やってんだろ、、、、
なんで大学生なのに制服なんて着てんだろ、、、なんで大学生までになってハマってんだろ(野球部用語?w)
やる気がないのは恐らく指導者にも伝わっていたんでしょう笑 なぜか何をやってもハマりましたね笑
入学前からハマり入学式制服5厘でした笑 理不尽なので今訴えたら間違いなく勝ってましたね笑

今までは甲子園に行きたいという理由で野球をやってきました。正直に言うと高校時代に目標達成してしまい厳しい野球には糸が切れていました苦笑
    
このままでいいのか?と初めて自分自身の人生という事に向き合った期間でした。
結果入学前からの練習が始まり5月〜6月ぐらいには退部してました。。
監督さんの面談も1分とかで終わりましたねwそりゃそうですね、、、、
お前の練習態度見てればわかるよと言われたのが印象的でした笑
    
今まで関わって頂いた、中学監督、高校関係者、親には本当に申し訳ないなと思いました。
(tsuzuki BASEを初めて中学監督、高校関係者には一連の謝罪を10年越しに出来て自分の中ではスッキリしていますw)


自分の将来に向き合うこれが僕のキャリアのスタートでした。
野球ではフォーカスされるような成果は出せなかったが社会ではフォーカスされるような人間になり、キャリアを作ろうと大学もすぐに退学し社会に入ることを決意しました。


社会人になる

ずっと野球をやってきていざ野球を辞めてしまうと目標がなくなり何をすればいいのか?!
当時1番最初に思った事はプロ野球選手よりも金を稼ぐ、そんな事から考え始めました。

今まで同じフィールド環境にいた選手がプロ野球の世界に行き、自分とは全く違う世界で活躍し
生活レベルまでも変えてしまう現状に悔しく思い同じフィールドで活躍は無理にしても違う形で勝負できるんじゃないか違った活躍だってあるんじゃ無いかと一所懸命仕事に向き合いました。

社会に入り15年が立ち
結果的に2016年に起業し現在は500名を超える会社まで成長しました。(まだまだ油断はできませんが、、)
    
やはり今の仲間、仕事、会社、があるのは野球があったからこその人生だと本気で思っています。

野球を通じて培った人間力や経験があるからこそ作れたキャリアでした。

野球がうまい、下手、速い、遅い、勝った、負けた、の結果以外で学ぶ事が多々あります。
    
こういった自分が子供の頃に考えられなかった事を今の子供、選手には少しでも伝えていきたいと思っています。

野球って物凄く理不尽なスポーツなんです。

これを理解すると気持ちも楽だし、勝ち方も自然と分かってきます。
言われたことだけやってもダメ、周りの人、環境にベクトルを向けてもダメ、
不貞腐れる、文句を言う僕はそんな人間でした。
大人になって大成できなかった理由がやっと分かりました。

現代では生活環境、教育環境が変わっています。
いい意味でも悪い意味でも自分で気付かないといけない時代です。




【tsuzuki BASEを立ち上げた理由】

  • 野球人口の減少
  • 野球のできる環境の減少
  • 用具の価格上昇
  • 野球、地元への恩返し
  • 好きだから

また別で立ち上げた理由は細かくお伝えしますが上記が理由です。
立ち上げメンバーは皆、少年野球、中学野球の幼馴染の仲間と立ち上げました。

それぞれが事業者だった事もありできた事ですが大人になりなんかビジネスを一緒にやれる事ないかね?という話を常にしてました。

俺らって

野球じゃね?

これがtsuzuki BASEの始まりでした。

当時オフィス移転する際の内装業務を吉田くん、植田くんやってもらっていた事でそんな話になり、

野球道具ってさ結局、、

人工芝って作ってんのってさ

ウェアってさ

全部中国で製造されてない?

そこになぜか植田くんが大学時代に使っていたYANASEの木製バットがあり 芯部分にmaid in Chinaと記載

オフィス内装に使う用具、材料、
施工道具にも全てmaid in China

『答え中国にあんじゃない?』

そのな話をした2週間後にはみんなで中国に行ってましたね笑

言葉もわからず、とりあえずアポなしでいろんな場所に行きましたね笑

イーウー市場 東京ドーム15個分とか?歩いてるだけで筋肉痛でした
上海から2時間ぐらいかかったっかな?


【これからの展望】

tsuzuki BASEでは子供から大人まで野球を通じて様々な機会提供を行い、

地域、野球への恩返しを様々な形で行なっていきたいと思いますのでよろしくおねがしいます!!


tsuzuki BASE HPhttps://tsuzuki-base.co.jp/

glowing Academy(アカデミー):https://tsuzuki-base.co.jp/academy/


glowing field(室内練習場):https://tsuzuki-base.co.jp/glowing-field/


glowing(野球用品):https://tsuzuki-base.co.jp/glowing/

ほねつぎセンター接骨院:https://honetsugi-center.jp/

Instagram(glowing):https://www.instagram.com/glowing.baseball/

Instagram(Academy):https://www.instagram.com/glowing_academy/


公式LINE:https://lin.ee/Fb9IUdzJ
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YUTA TAKAHASHI

YUTA TAKAHASHI

tsuzuki BASE 代表

tsuzuki BASE株式会社 代表、1990年 神奈川県横浜市都筑区生まれ  tsuzuki は僕達の出身が都筑区だから、所さんの世田谷ベースとかけてtsuzuki BASE

  1. 「野球偏差値」6つの軸 ③成果編

  2. 「野球偏差値」6つの軸 ②戦略理解編

  3. 「野球偏差値」6つの軸 ①技術力編

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